コロナの影響でゴールデンウィークにドライブもできないので、今日はちと、洋楽についてまとめてみました。発表年順にしています。年は、そのアーティストが最初にヒットしたあたりの年でまとめています。ロックの歴史的なものから、ロックじゃないもの、個人的な好みも入り混じっています。というか、個人的好みが大半です。
最初の Rock & Roll ってどんな曲だろうと思って探したら▲こんな曲にたどりつきました。19世紀初頭の船乗り歌です。Rock & Roll は元々船の縦方向の揺れ(rocking)と横方向の揺れ(rolling)の意味だったそうですが、この曲では「Do my Johnny Boker, Come rock and roll me over (ジョニー・ボーカー、私のところに来て。私を揺らして)」と、ちょっとセクシャルな意味で使用されています。その後、Rock &l Roll という言葉は、黒人霊歌では魂が揺れ動くの意味で使用されたり、揺れる、ダンスする、騒ぐ、性交するなど、様々な意味で使用されるようになりました。
アメリカのミュージカル&コメディドラマ映画「大西洋横断メリーゴーラウンド」の中で歌われた曲です。この頃はまだ船の揺れの意味合いが強いですかね。でも「Rock & Roll」が「楽しいこと」を示す言葉として使われ始めたような気がします。
ナイトクラブで歌っていたロイ・ブラウンのオリジナル曲です。この頃はまだジャンプ・ブルースと呼ばれていました。彼がファンだった ワイノニー・ハリス が街にやって来た時、この歌をハリスに歌ってほしいと申し出ましたが叶いませんでした。後日、別のブルース歌手セシル・ガントにこの曲を聴かせたところ、ガントはいきなりレコード会社の社長に電話、そのまま朝の4時に録音スタジオに連れていかれ、彼自身が歌ってレコード化することになったそうです。ビルボード R&Bチャートで13位。翌年、ハリスもこの歌の良さを認めてカバー曲を発売。チャート1位となりました▲。1954年には プレスリー もカバーしました▲。こちらはずいぶんアップテンポになっています。
この曲を世界で最初の Rock & Roll レコードと位置付ける人もいます。1952年に ビル・ヘイリー がカバーしました。アップテンポになっていてこちらもヒットしています▲。
ジャッキー・ブレンストンがアイク・ターナーのバンド Kings of Rhythm に参加していた時に作られた曲ですが、シングルレコード化された時には「Jackie Brenston and his Delta Cats」の名義で発売されました。この曲を世界で最初の Rock & Roll と呼ぶ人もいます。この曲も後に ビル・ヘイリー がカバーしています▲。
1951年に「Rocket 88」のカバー ▲、1952年に「Rock the Joint」のカバー ▲ を出していたビル・ヘイリーですが、Sonny Dae and His Knights が1954年3月にレコーディングした曲を 5月にシングル化して歌いました。映画「暴力教室」のオープニングにも使用され、ビルボードで8週連続1位を獲得するなど、ロックンロールブームの先駆けとなりました。聞いたことのある人も多いんじゃないかな。
1955年はラブソングの年ですかね。R&Bチャートで7週連続1位となった有名なラブソングです。リンゴ・スターなど多くのアーティストにカバーされています。日本のコマーシャルでも何度か使用されていますね。唐沢寿明のCMが好きです▲(笑)。
これも有名なラブソング。初出は 1955年の刑務所映画「アンチェインド」(鎖につながれていないの意味?)の主題歌で、獄中から恋人を思う歌詞がつづられています。トッド・ダンカンの他、様々なアーティストによって歌われ、1965年にはライチャス・ブラザーズがカバーしました▲。よく聞くのはこちらの方だと思います。1990年の映画「ゴースト/ニューヨークの幻」の主題歌としても使用されました。
1950年代に活躍したアメリカのミュージシャンであり、数多くの映画でも主演をつとめています。世界史上最も売れたソロアーティストの第1位に輝いている他、「キング・オブ・ロックンロール」とも称されます。
1956年はエルヴィス・プレスリーの年と言っていいと思います。この曲はプレスリーが初めてビルボードチャート1位を獲得した曲ですが、年間シングル販売数ランキングでも1位を獲得しました。
ビルボードチャートで11週連続1位、年間ランキングでも1位をなしとげました。hound dog は「女たらし」の意味。黒人女性歌手 Big Mama Thornton が 1952年に歌った同名の曲 ▲ (こちらもビルボードで7週連続1位)をベースにアレンジしたもの。
前出の「Hound Dog」と同時に、両面A面としてリリースされました。この曲がビルボードチャートの年間ランキング2位だそうです。
「Hound Dog」からわずか3ヶ月後にリリース。今度はラブソングです。曲自体は 1861年に発表された「Aura Lee(オーラ・リー)」 ▲ に新たな歌詞をのせたもので、プレスリーの初主演映画「やさしく愛して」の主題歌として歌われました。
主演3作目となる映画「監獄ロック」の主題歌です。全米チャートで7週連続1位を獲得。プレスリーの中では一番好きな曲かな。
R&Bシングルチャートで最高2位を獲得したものの、年間ランキングでは60位。しかし、その後、ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、プレスリー、ジミヘン、プリンス、布袋寅泰など多くのミュージシャンにカバーされました。宇宙船ボイジャー1号・2号に搭載された地球外生命体向けのレコードにもロックの代表曲として収録されました。映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」でマーティがギター披露したことでも有名ですね。映画の中ではマーティがダンスパーティでこの曲を演奏し、それをマーヴィン・ベリーが、従兄弟のチャック・ベリーに電話で聞かせるシーンになっていました。マーヴィンの方は架空の人物だそうです。
1958年にアメリカで発売されましたが、日本では「タモリ倶楽部」の曲として有名ですね。「Short Shorts」は10代の女の子が着用する、短いショートパンツを意味するそうです。
1961年にベン・E・キングがリリース。1986年に映画「スタンド・バイ・ミー」の主題歌となりリバイバルヒットしました。元々は黒人霊歌の「Load, Stand by Me ▲」にインスパイアされて作った曲だそうです。
「ロコ・モーション」は1814年に開発された蒸気機関車の名前。1962年にリトル・エヴァが歌ってヒットしました。作曲者のジェリー・ゴフィンとキャロル・キング夫妻は、最初別のシンガーに提供する予定だったのですが、たまたまベビーシッターに来ていたリトル・エヴァに試しに歌わせたところ意外にも良く、そのままデモテープをリリースしてしまったとのこと。
1960年代~1970年代に活躍したイギリスのロックバンドです。メンバーは、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ジョージ・ハリスンの4人。「ローリングストーンズ誌の選ぶ歴史上偉大なアーティスト」でも、「ウォールストリートジャーナルが算出する最も人気のあるロックバンド」でも堂々1位を獲得しています。
ビートルズのデビュー曲です。この頃はまだドラムがビート・ベストからリンゴ・スターに変わったばかりで、収録によっては、まだリンゴのドラムは下手だという理由で、アンディ・ホワイトがドラムを叩き、リンゴはタンバリンを叩いている盤もあるそうです。
「Love Me Do」のB面。個人的にビートルズの中で一番好きな曲なので、入れちゃいます。
ビートルズ2枚目のシングル曲。カモン、カモン♪ カモン、カモン♪ ってとこがいいですよね♪
アルバム収録曲。元々は 1961年に Top Notes がリリースした曲 ▲ をアレンジしてカバーしたものだそうです。Top Notes の動画には、一緒に練習しているビートルズの写真もあります。
ビートルズ4枚目のシングル曲。
ビートルズ5枚目のシングル曲。
ビートルズ6枚目のシングル。予約だけで100万枚以上売れ、この年の4月4日には、ビルボードランキングの 1~5位をすべて、ビートルズが独占したそうです。
ビートルズ7枚目のシングル。これも好きだなー。ビートルズの映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」のテーマ曲。当時の邦題も映画に合わせて「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」という曲名でした。
ビートルズ 10枚目のシングル。「開運!なんでも鑑定団」のオープニングでも使用されてますね。
「ヘルプ!」からわずか2週間後に発売されたアルバム「4人はアイドル」の収録曲。1,000を超えるカバー曲があり、「世界で最も多くカバーされた曲」としてギネスに登録されています。
ビートルズ18枚目のシングル。ジョン・レノンがオノ・ヨーコと不倫の恋仲になり、当時の妻のシンシアと険悪になっていた頃、レノンとシンシアの息子ジュリアン(5歳)を励ますためにポール・マッカートニーが作った曲ともいわれています(他説あり)。
ビートルズ11枚目のアルバム「ザ・ビートルズ」に収録された曲です。市場で働くディズモンドとバンドで歌うモリーが恋に落ち、結婚して、2人の子供に囲まれる様をリズミカルに歌っています。タイトルの「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」はポールがよく通っていたクラブのコンガ奏者ジミー・スコットがよく口にしていた言葉で「人生は続く(life goes on)」という意味らしいのですが、語源が分からず、スコットの造語かもしれないとのこと。歌詞の最後ではモリーが市場で働き、ディズモンドが歌っています。これは、収録の際にポールが間違えてしまったものを、面白いからとそのまま採用したものだとか。
ビートルズ13枚目のシングル。ポールが子供向けに思いついた曲だとか。めずらしくリンゴ・スターがメインボーカルを務めています。2年後のビートルズが主人公のアニメ映画「イエロー・サブマリン」のテーマ曲にもなりました。日本では金沢明子が「イエロー・サブマリン音頭」として歌ってます▲。が、1月10日ジョージ・ハリスンの脱退宣言事件、9月20日ジョン・レノンの脱退宣言など、音楽性の違い、ポール主導に対する不満などを理由として、メンバー間の不仲が問題となってきました。
ビートルズ19枚目のシングル。元々のタイトルは「(Don't Dig) No Pakistanis(パキスタン人は要らない)」。当時、政治的に海外からの移民を排除する動きがあり、それに反対するポールが逆説的に作詞したもの。ただし、誤解される恐れがあるとして「ゲット・バック」に変わりました。また、歌詞に登場する「Get back Jojo」の「ジョジョ」とは、オノ・ヨーコに入れ込んでビートルズの活動を控え始めたジョン・レノンのことを歌ったものだとか、オノ・ヨーコに向けられたものだとか、いろいろな解釈があるようです。
ビートルズ22枚目にして最後のシングル。「Let It Be」を訳すと「あるがままに」。ビートルズが分裂しつつあるのをポールが嘆いていたところ、47歳の若さで亡くなったポールの無き母から「あるがままを、あるがままに受け入れなさい」と啓示を受けたのが作曲の始まりといわれています。この曲を発売してから1ヶ月後の4月10日、ポールはビートルズからの脱退を発表します。翌年、ソロ活動の収支分配に関してポールが起こした裁判の勝訴を経て、1971年3月1日ビートルズは完全に解散しました。
1963年はビートルズだらけの年でしたが、ザ・タイムスのこの曲もいい曲です。1988年にサイモン&ガーファンクルのガーファンクル▲、1993年に元イーグルスのティモシー・B・シュミット▲、2001年に山下達郎▲ などがカバーしています。CM でもよく使われますね。パイオニアの CM 「僕のバイブレーション」で使用されているの(ティモシー・B・シュミットのかな)が好きでした。
ザ・ベンチャーズは、1952年にドン・ウィルソンとボブ・ボーグルらが結成したアメリカのインストゥルメンタルバンドです。1933年生まれのドン・ウィルソンこと「ドンさん」は2020年現在87歳。2015年を最後にツアーには同行することはなくなりましたが、現在でもレコーディングなどには参加しているとのこと。ベンチャーズは米国よりもむしろ日本での人気が高く、何度も来日している他、ベンチャーズ自体も日本を意識した楽曲を手掛けています。欧陽菲菲の「雨の御堂筋 ▲」、渚ゆう子の「京都の恋 ▲」や「京都慕情 ▲」、和泉雅子と山内賢の「二人の銀座 ▲」なども、実はベンチャーズが作曲しています。
1960年にリリースしたこの曲は、元々は Johnny Smith が 1955年に作成した曲 ▲ がベースです。さらに、その曲も、1928年に作曲された「Softly, as in a Morning Sunrise」というジャズのスタンダード曲 ▲ をベースにしているとのこと。
ここでベンチャーズを挟みます。ドゥクドゥクドゥクドゥクドゥン♪ の出だしが心地よいですね♪ 1963年に The Chantays がリリースした曲 ▲ を、ベンチャーズがカバーしてアルバムに収録したもの。日本で特に人気があり、シングルカットされているのですが、英米ではシングルカットされていないようです。しかし、多くのアーティストがカバーしています。
アルバム「Wolk Don't Run」に収録されていた曲です。後にシングル化されました。米国では70位といまひとつでしたが、日本では一番人気があります。
アルバム「Knock Me Out!」から。私は「ダイアモンド・ヘッド」や「パイプライン」の方が好きなのですが、これもベンチャーズの人気ランキングでは定評があります。
ロイ・オービソンによる「プリティ・ウーマン」。1990年のリチャード・ギアとジュリア・ロバーツの映画「プリティ・ウーマン」の主題歌としてもヒットしました。
フランク・シナトラは1940年から1960年代にかけて活躍した歌手・俳優です。1954年「地上より永遠に」でアカデミー助演男優賞を得た他50本を超える映画に出演し、多くのヒット曲を生み出しました。
元々は1954年に作曲されたジャズのスタンダードナンバーで「In Other Words」という3⁄4拍子の楽曲だったのを、1962年に4⁄4拍子のボサノヴァ風にアレンジされ、これをフランク・シナトラが1964年にカバーして大ヒットしました。日本では「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディングテーマとして歌われていますね。
フランスのシャンソン歌手クロード・フランソワが1967年に歌った「Comme d'habitude ▲」に、ポール・アンカが英語の歌詞を書き、フランク・シナトラが歌ったものです。ビートルズの「イエスタディ」に続き、カバーされた回数第2位だそうです。
1962年にデビューしたイギリスのロックバンドです。ボーカルはミック・ジャガー。Rolling Stones のバンド名は、1950年にマディ・ウォーターズがリリースしたアルバムの中に収録されていた「Rollin' Stone」という曲名▲ から。「ローリング・ストーン」は「転がる石」とか「住所不定者」「風来坊」などの意味があります。Muddy と Stones のセッションなんか、いいですよね▲。1967年に米国で創刊した「ローリング・ストーン誌」も、同じくマディの「Rollin' Stone」からとったものだとか。ミック・ジャガーは70歳を超えてもまだまだ元気で、今年(2020年)は8年ぶりに新曲も出すそうです。
ローリング・ストーンズの「サティスファクション」と同じ月に、ボブ・ディランが「ライク・ア・ローリング・ストーン」をリリースしました。伝説といってもよい曲ですね。曲名は「転がる石(宿無し)のように」の意味です。優雅な生活から一転して宿無しになった女性に対して「どんな気分なんだい?」と、6分間もの間歌い続けます。「ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング▲」では、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が 1位、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」が 2位を占めています。ローリング・ストーンズが「ライク・ア・ローリング・ストーン」をカバーしてるのも面白い♪▲
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの2人によるデュオグループ。透明感のある歌声がとても綺麗です。この二人の歌声はほんと、いいですねー。普段はコンサートなんてほとんど行かないのですが、サイモン&ガーファンクルが再結成して来日した時は広島から東京ドームまで見に行きました。
サイモン&ガーファンクルによる初のアルバム、1964年の「水曜の朝、午前3時」に収録されていた曲ですが、アルバムは3,000枚しか売れなかったとか。その後、この中に収録されていたこの曲をアレンジしてシングルリリースしたところ大ヒット。1966年1月にはヒットチャート1位に。また、1967年にダスティン・ホフマンが結婚式で彼女をさらう映画「卒業」のテーマ曲として採用されました。
サイモン&ガーファンクルのアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」に収録されたもの。元々は17~18世紀頃のイギリスの古い歌がベース。この曲も、ダスティン・ホフマンの映画「卒業」で、挿入歌として使用されました。
映画「卒業」のサウンドトラックに収録されたいたもので、後にシングルカットされました。「ミセス・ロビンソン」は「卒業」でダスティン・ホフマン演じるベンジャミンを誘惑する、魅惑のミセスです。歌詞の中に「ジョー・ディマジオはどこに行ってしまったんだ?」という節がありますが、ガーファンクルの日本公演の際には「王貞治」に変えて歌ったこともあるとか。
サイモン&ガーファンクルのシングル。故郷を飛び出し都会にでてきたものの、仕事も金も無い境遇の中で闘うボクサーが立ち上がらざるをえない様を、静かながらも力強く歌っています。聞き入っちゃうと、本当にいい歌なんですよね。彼が本当にボクサーなのか、都会で孤独に戦う様をボクサーに見立てたのかはよくわかりません。ライ・ラ・ライ、ライ・ラ・・・の歌詞は、横たわる(lay)や嘘(lie)の意味があるともいわれましたが、サイモンによると特に意味は無いそうです。
ビルボードで6週連続1位。年間チャートでも1位を獲得した歌です。同名のアルバム「明日に架ける橋」と同時期に発売されました。
1970年にサイモン&ガーファンクルがカバーして有名になった曲。元々はアンデスに古くからある伝承曲。1913年にダニエル・アロミア=ロブレスがオペラの序曲として使用▲。これをベースに1950年代にロス・インカスが演奏をつけ▲、さらにそれにサイモン&ガーファンクルが歌を吹き込んだもの。中学の頃にこの歌を聴いてS&Gのファンになりました。
ジミ・ヘンドリクス2枚目のシングル。パープル・ヘイズは「紫のけむり」。LSD の俗称でもあります。1960年代の "代表的なサイケデリックドラッグソング" と呼ばれます。ジミ・ヘンドリクス (通称:ジミヘン)はアメリカ生まれ。左利きながら右利き用ギターを演奏したり(本当は右利き説もあり)、ギターを歯で演奏したり▲(1:30あたり)、ステージでギターを燃やしたり壊したり▲(1:05あたり)など、派手なパフォーマンスでも有名です。坂本冬美が、RCサクセションの忌野清志郎、Y.M.O.の細野晴臣と歌う「パープルヘイズ音頭▲」も好きです♪
米国のポップロックバンド、ザ・モンキーズが1967年に発売しました。日本では1989年に忌野清志郎率いるザ・タイマーズがカバーし、セブン・イレブンのCMで使用される他、フィンガー5、西城秀樹、あいざき進也、少女体、山崎まさよし、矢野顕子、関ジャニ∞など、多くのミュージシャンがカバーしています。
フランスのジョー・ダッサンが1969年に発表した、パリのシャンゼリゼ通りを歌った歌です。パリ発祥の歌と思われがちですが、イギリスのサイケデリックバンド、ジェイソン・クレストが1968年に発売したシングル「Waterloo Road (ウォータールー通り) ▲」が原曲だそうです。
ショッキング・ブルーはオランダのロックグループです。1969年にこの曲を発表し世界中でヒットしました。1986年に Bananarama がカバーしたバージョン ▲ もヒットしました。
もうひとつフランスの歌。「Tout, tout pour ma chérie」は英語に訳すと「All, all for my darling」。シェリーという名前の女の子が居る訳ではないですが、恋した女性に捧げるラブソングです。
レッド・ツェッペリンは1968年に結成したイギリスのロックバンド。時期は微妙に異なるものの、三大ギタリストと称されるエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの3人が所属していた The Yardbirds ▲ の後継バンドとして、ジミー・ペイジを中心に結成されたバンドです。名前の由来は「go down like a lead balloon(鉛の風船のように落ちる=失敗する)」の慣用句から、lead を発音通りに led とし、balloon を Zeppelin型飛行船から Zeppelin にしたものだとか。
レッド・ツェッペリンの2枚目のアルバム「レッド・ツェッペリンⅡ」に収録された曲です。
北欧からの航海者が西方の新天地で大君主となって争いを収めようとする歌詞だそうです。冒頭の雄叫びが有名です。プロレスラー、ブルーザー・ブロディの入場曲でもありました。
レッド・ツェッペリンの代表曲。ソロギターで始まるイントロ部は当時ギターを買った人みんなが練習してましたね。私も練習しました。ペイジ、ベック、クラプトンの3人が演奏してる映像もオススメ ▲。
エルトン・ジョンは1969年デビューの眼鏡が特徴的なイングランド出身のシンガー。バディ・ホリー▲に憧れて黒縁眼鏡をかけていたら本当に視力が落ちてしまったとか、ホテルに眼鏡用の部屋を用意させたとかの逸話があります。同性愛者であることを公表していて、2005年にはカナダの映画監督(♂)と結婚しています。下記、人気曲を紹介しますが、個人的には「Nikita(1986年)▲」の PV に出てくる女優さんが好きです。
エルトン・ジョンを一躍有名にした曲。シャイな男の子が好きな女の子に歌を送るラブソングです。「I hope you don't mind.」のところがいいですね。
2019年には彼の半生を綴る映画として「ロケットマン」が公開されました▲ 。そのタイトルにもなった曲です。
1997年ダイアナ元皇太子妃が亡くなった際の追悼歌として歌われ、ヒットしました。
兄:リチャード・カーペンターと、妹:カレン・カーペンターの兄妹によるデュオ。日本でのレコード売り上げ枚数はビートルズに続いて2位だそうです。
1963年にリチャード・チェンバレンが歌っていたのをカーペンターズがカバーし、カーペンターズの最初のヒット曲となったものです。
子供向けテレビ番組「セサミストリート」の挿入歌として歌われていたものをカーペンターズがシングルリリースしたもの。後半には子供たちによる歌唱が加えられています。
ラジオで聞いていたオールディーズを懐かしむという歌。米国では2位が最高でしたが、日本とイギリスでヒット。日本のオリコンチャートでは26週連続1位だったそうです。
元々はアルバム収録曲の中の1曲でしたが、リン・アンダーソンがカバーしたところ好評だったので、シングルリリースしたもの。「あなたといると、私は世界の頂点に登っちゃうわ」という感じの曲です。
ビートルズ解散後にジョン・レノンがリリースしたシングルです。「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500▲」で3位にランキングしています。1番は「想像してごらん、天国の無い世界を」、2番は「想像してごらん、国なんて無い世界を」で始まるこの歌は、宗教や国の違いによって発生する戦争を嘆き、世界の平野を祈る歌とされていますが、「no Heaven(天国の無い)」や「no religion(宗教の無い)」の歌詞がキリスト教で嫌われることが多く、イギリスでは葬儀の際に使用することが禁止されたり、一部歌詞を変えて歌われることもあるそうです。
ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックと並んで世界三大ギタリストと称されるエリック・クラプトン。「スローハンド」の異名を持ちます。高度なギターテクでどんなに早い演奏でも指はゆっくりに見えるとか、余りに速すぎて逆にゆっくりに見えるとか、こだわりすぎて弦の張替えが遅いからだとかいろいろ言われますが、ヤードバードの時代にコンサート中に切れた弦をステージで張り替えている間、観客から、サッカーの試合で見られるようなゆっくりとした手拍子(スローハンドクラップ)があったことから「エリック・スローハンド・クラップトン」と呼ばれたのがはじまりだそうです。
「レイラ」は、クラプトンが、親友ジョージ・ハリスン(ビートルズ)の妻パティ・ボイドに恋をしてしまい、彼女を想って作った曲だとか。その後、パティはハリスンと離婚してクラプトンの妻になります(離婚しちゃいますが)。イントロのリフがすげぇかっこいいです。
この曲も、パティ・ボイドのために作った曲だそうです。1971年のアルバム「スローハンド」に収録されています。この曲の後、1979年にパティとクラプトンは結婚しています。
パティと破局し始めた頃、イタリアの女優ロリ・デル・サントとの間に生まれた息子が、4歳の時にアパートの53階から転落死してしまったのを慈しんで作った歌だそうです。「'Cause I know I don't belong Here in heaven~」しみじみとくる、いい曲ですね。
ワイノナ・ジャッドが1996年2月にリリースしたものを、同年公開の映画「フェノミナン」に向けてクラプトンがカバーしたもの。グラミー賞で最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀ポップ男性ボーカル賞を受賞しました。
アメリカのフォークシンガーソングライター、ジョン・デンバーが1971に発表しました。いい歌ですよねー。1995年のジブリ映画「耳をすませば」の重要なメインソングでもあります。
アイルランド出身イギリス育ちのシンガーソングライターです。
ディープ・パープルは、レッド・ツェッペリンと並んで称されるイギリスのハードロックバンド。バンド名のパープルってドラッグ系の言葉かと思えば、初期メンバーのブラックモアの祖母が好きだった、ピーター・デロースのピアノ曲(1934年)▲、およびそれに歌詞をつけてヒットした曲「Deep Purple▲ ▲ ▲」からとったものだとか。サウンドはラウドですよねー。屋内コンサートにおいて「世界で最も大音響のバンド」としてギネスに登録されているそうです。
俺の車・彼女ばぶっちぎりだぜっ、俺はハイウェイ・スターだぜって感じの曲。次に出てくる火事事件の時に収録された曲だそうです。ディープ・パープル、好きかもなぁ~。
タイトルは「湖の上の煙」。ディープ・パープルがスイスのモントルーのレマン湖近くのカジノで、ローリング・ストーンズも使用していた移動式スタジオを用いてレコーディングを予定していたのですが、同じ場所でフランク・ザッパ&マザーズのコンサートがあり、興奮した観客が放った照明弾でカジノを火事で丸焼けにしてしまいました。やむなく別の場所に移動して録音を始めるも、大音量すぎて警察が出動する事態に。再度場所を変えて、空きホテルの廊下でレコーディングを行いました。この曲は、その時のことをそのまま歌ったもの。ルポタージュソングですね。やっぱり、ディープ・パープル、好きだな。
未熟児として生まれた際の後遺症で視覚異常(全盲ではない)を抱えたスティービー・ワンダー。11歳から音楽の道に入り、12歳の時の20分間の演奏(1962年)が翌年アルバム化され、まさかのビルボード1位に▲。 その後、ずっと売れ続けた訳ではないけど1970年代前半はグラミー賞の常連になりました。
1962年以降は中ヒット止まりだった中、1972年に発売され全米シングルチャートで1位を獲得しました。
自信の娘アイシャの誕生祝に作成したのがこの曲。4:30以降にアイシャの声も挿入されています。親バカ以外の何者でもない曲ですが、いい曲です。
1974年に亡くなったジャズマンのデューク・エリントンに捧げる歌だそうです。トヨタ、KDDI、日本ハムなどがCMに使用していました。
これもCMでよく利用される曲ですね。元々はスティービー・ワンダーが1979年に日本の兄弟デュオ、ブレッド&バターに提供した曲で、松任谷由実が作詞、細野晴臣が編曲で「特別な気持ちで」というタイトルで発売する予定だったのですが、映画「ウーマン・イン・レッド」の主題歌に使用されることになったため、急遽発売が中止(5年後に仕切り直しでリリース)となった曲だそうです。
T・レックスはイギリスのロックバンド。元々はティラノザウルス・レックスという名前でしたが、後に T.Rex に改名しました。この曲は2008年の映画「20世紀少年」で聴いたことがある人も多いはず。
アメリカのシンガーソングライターです。1970年代からヒットを連発し、今でも活躍中です。エルトン・ジョンは眼鏡がよく分かりますが、ビリー・ジョエルが髪型がよく変わります。
1971年の初のアルバムは不作でしたが、しばらくクラブまわりをした後、1973年に再デビューしてヒットさせたのがこの曲。バーにやってくる様々な客の前で歌うピアノマンを演じています。歌詞に出てくるウェイトレスは最初の妻エリザベス・ウェーバーがモデルだとか。
アルバム「ストレンジャー」に収録されていたのをシングル化したもの。タイトルは「君のそのままがいいんだ」って感じでしょうか。もう、べったべったのラブソングですね。当時の妻エリザベスに捧げた曲だそうです。
1977年の同名アルバムに収録されていた曲ですが、日本、ニュージーランド、オランダ、オーストラリアでのみシングルとしてリリースされました。特に日本で人気のでた曲です。
米ビルボードで最高3位の中ヒット。こちらは、日本ではオリコン37位とあまり流行りませんでしたが、私の中では好きな曲です。
これもまた日本で特に人気のある曲で、米国ではビリー・ジョエルのベストアルバムには収録されていませんが、日本版にのみ追加収録されています。いろいろなCMで利用されていますね。
uptown は日本で言うところの「山の手」。高級住宅街に住む女性を、自動車修理の作業員が「射止めてやる」と歌う曲です。PVに出てくるアップタウンガール、クリスティ・ブリンクリーは実際に、ビリー・ジョエルと結婚しています。
1971年結成のイギリスのロックバンドです。フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの4人。1991年にリード・ボーカルのフレディ・マーキュリーは45歳で亡くなってしまいましたが、彼に焦点をあてた映画「ボヘミアン・ラプソディ(2018年)」が上映されて流行りましたね。
1975年にリリースされた「ボヘミアン・ラプソディ」はクイーンの代表曲ですね。アカペラ、バラード、オペラ、ハードロックの入り混じる、なんともインパクトのある曲です。ママ~♪ガリレオ~♪
1番は少年、2番は若者、3番は老人、いずれもくすぶっている三者に対して「We will we will rock you」と鼓舞します。「rock you」ってなんて訳すんでしょうね。「揺さぶってやる」、「ノらせてやる」、「殻を叩き割ってやる」など、いろいろ訳されているようです。私だったら「熱くしてやる」って訳すかな。
曲自体は「Bohemian Rhapsody」よりも先につくられていましたが、フレディ・マーキュリーが「リリースするにはまだ早い」と判断し、「We Will Rock You」と両A面のシングルとして1977年にリリースされました。
「僕の自転車に乗りたい」がひたすら繰り返される他、歌詞の中にスターウォーズやジョーズも出てきます。Official Video には65人もの全裸の女性が自転車レースで走るシーンが含まれているため、YouTube では年齢制限がかけられているようです。
「空を燃えぬけていくぜ。華氏200度の熱だぜ。ミスター・ファーレンハイトだぜ。誰も俺を止めるなよ。」と、非常にハイ・テンションな曲です。発売当時は小ヒット程度でしたが、CMで使われていくうちに Qeeen の代表曲のひとつになりました。ただ、歌詞があまりにも快楽的なのと、マーキュリーがドラッグを始めた時期と重なることもあり、メイはこの曲に対してあまり好意的ではなかったそうです。
フレディ・マーキュリーのソロアルバムに収録されました。後に、Queen バージョンも作成されました。日本でもノエビア化粧品、一番搾り、スーパードライ、カップヌードルなどのCMで利用される他、ドラマ「プライド」の主題歌にもなりました。
10cc はイギリスのバンドです。この曲もCMで何度か使用されているラヴソングですね。歌詞は、好きな女の子に対して「恋なんかしてないってば」と言いながら電話をかけたり、写真を壁に貼ったりしてるという、ちょっと女々しい感じですが、メロディがいいですね。
1973年に結成されたアメリカのハードロックバンド。コープス・ペイントのメイクが特徴的です。
4枚目のアルバム「地獄の軍団」に収録されていたもの。コンサート会場に向かう途中で交通事故で死亡した実在のファンを歌ったもので、コンサートのオープニングナンバーとして演奏されていました。
1977年の同名のアルバムに収録されていたもの。全米シングル・チャートで最高55位と売れ行きは振るわなかったが、全ツアーで演奏され、ベストにも収録されています。
アルバム「地獄からの脱出」に収録されていたもの。日本では一番人気があるようです。
ABBAはスウェーデンの4人組ポップグループです。ABBA は彼らの名前の1文字ずつをとったもの。ロゴでは、ABBA の最初の B は左右逆向きで表現されることがあります。1974年~1982年頃まで世界のディスコミュージックで最も成功したアーティストとなりました。
英国、オーストラリア、ドイツ、スイス、アイルランドなどで1位を獲得しました。2008年にイギリス、ドイツ、アメリカ合作の映画「マンマ・ミーア!」のテーマ曲となり再ヒットしました。
イギリスで6週連続1位の他、世界13か国1位を獲得するなど大ヒットしました。韓国ドラマ「冬のソナタ」の第1話でチェ・ジウ演じるユジンが放送室の中でこの曲をかけ、ひとりで踊っていたのが印象的でした。日本では著作権の関係で差し替えられているらしいのですが、Hulu かなにかで見たのかな...
「金、金、金」って曲です。「金持ちの男をつかまえられたら、カジノで大金を稼げたら、金持ちの世界よ~」って感じの歌詞です。これも ABBA の代表曲のひとつ。
Chiquitita は、英語で言うと "Little one"。小さな女の子を意味するスペイン語です。歌詞は、悲しむ少女を慰め、励ます内容になっています。
Gimme は Give me(ちょうだい) の意味。夜を一人で過ごすのは寂しいので、12時過ぎの男を頂戴っていう肉食系女子の歌詞になっています。
1971年にデビューしたアメリカのロックバンドです。代表曲「ホテル・カリフォルニア」の他、「テイク・イット・イージー(1972年)▲」、「ならず者(1973年)▲」、「呪われた夜(1975年)▲」などの曲があります。
とても意味深で怖い歌詞です。コリタスの香りの中、ホテル・カリフォルニアにたどり着きます。幾日か過ごすホテルはとても快適ですが、ワインを頼むと「1969年以降そんなスピリット(酒・魂)は置いていない」と言われます。女の子は「ここは私たちの場所だけど、私たちはここに囚われている」と言います。恐怖を感じて外に出ようとしますが、「あたなはいつでもチェックアウトすることができます。ここを去ることはできませんが。」と言われます。コリタスはクスリの意味があり、クスリから抜け出せないことを歌ったとか、1969年以降商業化してしまったロックの魂を嘆いたとか、いろいろ解釈されているそうです。
ジャクソン5としてデビューし、ソロとしても最高の活躍をしました。ギネス世界記録からも「人類史上最も成功したエンターテイナー」として賞されています.
アルバム「Thriller」からのセカンドシングル。マイケル最大のヒット曲。1983年の「モータウン25年記念コンサート」でマイケルがこの曲を歌った際に「ムーンウォーク」を初披露しました。
アルバム「Thriller」からの第3段シングル。なんか、一番マイケルっぽいなと感じてて好きな曲です。ギターソロはヴァン・ヘイレンが参加してます。
アルバム「Thriller」からの第7段シングル。マイケルが大ブレークしたきっかけにもなりました。マイケルが狼男に変身する PV も有名になりました。監督は「ブルース・ブラザーズ」や「星の王子ニューヨークへ行く」などを手がけたジョン・ランディス。特殊メイクは「エクソシスト」、「2001年宇宙の旅」、「スター・ウォーズ」などにも参加したリック・ベイカー。「Billie Jean」、「Beat It」、「Thriller」が同じアルバムに収められていたなんて、すごいっすよね。
1985年に警官によって射殺された17歳の黒人少年エドモンド・ベリーを題材に作られた曲です。監督は「タクシードライバー」などを手がけたマーティン・スコセッシ。
アルバム「Bad」に収録された第7段シングル。この曲のパフォーマンスの中で「ムーンウォーク」に次いで知名度の高い「ゼロ・グラビティ」が疲労されました。ただ、初披露の1988年時点ではまだワイヤーを使用したもので、1992年になってから特許(米国特許番号5255452)にもなっている靴底のひっかけによるゼロ・グラビティ」が披露されました。
1991年リリース。PV には「ホーム・アローン」のマコーレー・カルキン君が登場しています。監督は「スリラー」と同じジョン・ランディス。大好きな彼女に対して「黒人か白人なんてどうでもいいんだ」と歌います。ただ、この頃からマイケルの肌は白くなっていきます。白人に憧れて白人になるための整形を繰り返しているとも言われましたが、白くなったのは尋常性白斑という後天性の皮膚病により色素が抜け落ちたのが主要因とされています。マイケルの長男も同じ病気に悩まされているとか。ただ、肌色の変化に加えて整形も行ってたのは事実。整形が始まったのは1979年のステージで鼻の骨折を治療しはじめた時から。幼少期に父に鼻の大きさを揶揄された頃のトラウマ鼻を整形、しかし、治療ミスにより呼吸が難しい状態になり、その後、何度も整形を繰り返すようになっていったようです。見た目は正直1983年頃の方が好きですが、まぁ、それでも、マイケルはマイケル。すみません。長文になりました。
1985年にアメリカの有名アーティストが集まり、アフリカの貧困層救済のために作成したキャンペーンソングです。マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、ビリー・ジョエル、ダイアナ・ロス、シンディ・ローパー、スティービー・ワンダー、ボブ・ディラン、ポール・サイモン、レイ・チャールズ、ティナ・ターナーなど、総勢45人の顔ぶれでした。プリンスも参加予定でしたがトラブルで遅刻して参加できなかったとか。